男声合唱
別名「歌の国」と呼ばれるほどに、
ウェールズ人の歌好きは有名です。
“好きこそものの上手なれ”なのか
才能にも恵まれているようで、
12世紀末の聖職者で学者でもあった
ギラルドゥス・カンブレンシスは著書のなかで、
「ウェールズ人はほかのところのような斉唱ではなく、
多くのパートに分かれた合唱で歌い、
ごく自然に和音で曲を終わらせる」
「驚くべきことに小さな子どもまで合唱で歌う。
赤ん坊は泣き声を卒業したら、
すぐに合唱で歌いはじめる」と書いています。
ギラルドゥス自身がウェールズ人なので、
この話には相当な身びいきも
含まれているのかもしれませんが、
ウェールズ人は歌が上手だということは、
本人にも自慢だったのでしょうね。
なかでもウェールズを代表する歌声として
世界的に有名なのが、男声合唱です。
団のほとんどは、産業革命期に石炭や石材の採掘に
従事していた労働者たちを中心に誕生したもの。
ボーイソプラノならいざ知らず、筋骨隆々の鉱夫たちと
コーラスというのは、意外な組み合わせでしょうか?
でもこれにはもちろん、時代背景が関係しています。
当時、近代化で人口が急増したウェールズの炭鉱や製鉄の村々では
衛生状態が悪化してコレラが流行り、飲み水の確保が難しくなりました。
そこで、水の代わりにビールを日常的に飲むようになったのです。
もともと陽気なウェールズ人たちにアルコールの力が加わったら、もう怖いもんナシ!
というのは勝手な想像ですが、当たらずとも遠からじかな?
少々ハメをはずしたふるまいがあったのかもしれません。
一方、そのころ信仰の世界で労働者階級の心を捉えていたのは
英国国教会ではなく、カルヴィン派のメソジスト教会でした。
ドラマチックな牧師の説教がウェールズ人の気質に呼応し、
その後の賛美歌合唱は熱を帯びて何回も繰り返されたそうです。
たしかに、声をひとつにして歌を響かせる高揚感は、
一度味わうと病みつきになってしまいますものね。
また英語が強制されてウェールズ語を話すことが禁止され、
唯一教会のなかでだけ許されていたので、
母国語の賛美歌が次々に作曲され、
人々の愛国心をさらにかきたてました。
ところで、メソジスト教会は、信徒にも禁欲的な生活を求めます。
飲酒の習慣ができあがってしまった村人たちを
苦々しく思っていたのは、想像に難くありません。
そこでビールに代わるお楽しみとして教会が奨励したのが、
合唱だったというわけ。
しらふで集う日曜礼拝の、村人たちが大好きな部分を、
教会の外の日常にも広めようとしたのですね。
むくつけき男たちが心酔する素地はすでに十分あったので、
各地に男声合唱団が生まれたのでしょう。
そして鉱山が閉鎖されてしまった後も、
合唱団は生き残りました。
いまではメンバーたちの職業はさまざまですが、
仲間意識は結成当時のまま。
ただ、禁酒運動としての側面は見事に消えうせ、
練習の後の一杯がお楽しみのところも多いようです。
なかには歌う前に喉を潤す必要がある輩も。
ウェールズの地元のパブに行けば、思いがけず、
彼らの“のど自慢”に出会えるかもしれませんよ。
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ウェールズを代表する2つの男声合唱団の歌声をぜひお聴きください!
トレオルキー男声合唱団による『Myfanwy マヴァニュイ』。
マヴァニュイという女性に捧げた悲恋のラブソングです。
モリストン・オルフェウス合唱団による『Men of Harlech メン・オブ・ハーレック』。
バラ戦争でのハーレック城の攻防の際に勇敢に戦った兵士たちを讃える行進曲で、
ウェールズ近衛連隊のテーマ音楽です。
<もっとトリヴィア>
故ダイアナ妃(プリンセス・オブ・ウェールズ)が愛したウェールズの賛美歌
『Cwm Rhondda』(ロンダ渓谷――英語の題名はBread of Heaven)もどうぞ。
ダイアナ妃の葬儀で歌われ、またウィリアム王子の結婚式では
「母が好きだった賛美歌だから」と、式のいちばんはじめに歌われました。