石炭
世界に先駆けて産業革命を起こし、近代化を成し遂げた大英帝国。
その原動力のひとつとなったのが、南ウェールズ産の石炭です。
ロンダ渓谷を中心とする炭鉱から採掘された石炭は
発熱量が高く煙の少ない無煙炭で、
需要が急増していた製鉄や蒸気機関の燃料に最適。
ブラックゴールドと呼ばれるほどに高値で取引され、
ウェールズに経済的な恩恵をもたらしました。
なかでも飛躍的に発展したのが、
現在の首都のカーディフです。
その品質の高さからウェールズ産の石炭の多くが
輸出にまわされたため、
カーディフ湾は世界最大の石炭積出港となりました。
港近くに建てられた豪奢な石炭取引所は
世界の石炭相場を決める場所となり、
史上初めて、ここで、
額面100万ポンドの手形が発行されたそうです。
金ではなく、石炭の売買でこの最高額が
登場したことからも、
いかに繁栄を謳歌していたかがわかりますね。
実はこの“ウェールズ炭”、
日本とも深い関わりがあるんですよ。
大国ロシアを相手に勝利を収めた、日露戦争。
東郷平八郎司令官のもと、勇名とどろくバルチック艦隊を
撃破した日本海軍の連合艦隊には、
1万トンものウェールズ炭が搭載されていたのです。
戦争勃発の2年前に締結された日英同盟によって調達できたものでした。
英国政府はこのとき、同盟国日本のためにロシアへのウェールズ炭の禁輸措置も講じたとか。
あの日本海海戦で国産の石炭が使われていたら、その後の歴史は変わっていたのかもしれませんね。
でもご存知のように、この繁栄にも終焉のときが訪れます。
世界のエネルギー政策が石炭から石油へとシフトするにつれて、
最盛期には600以上あった炭鉱は次々に閉山され、
1980年代で操業はほぼ停止しました。
かつてボタ山が築かれていた谷には緑が戻り、
人々が郷愁をこめて口にする
“ヴァレー”の風景に彩りを添えています。
とはいえ、在りし日の炭鉱の姿が、
まったくなくなってしまったわけではありません。
近代史に大きな足跡を残した
この南ウェールズの石炭産業を後世に語り継ごうと、
さまざまな取り組みが行われています。
そのひとつ、閉山された炭鉱をそのまま
利用して体験型ミュージアムにしたのが、
カーディフの北東約40kmのブレナヴォン
(Blaenavon)という町にある、
ビッグピット国立石炭博物館
(Big Pit: National Coal Museum)。
ここで働いていた鉱夫たちにガイドされ、
地下90mまで降りて長い坑道を歩く
アンダーグラウンドツアーが人気です。
個人的にも、ビッグピットはおすすめ!
もと鉱夫のおじさんたちの解説には
国の繁栄を支えたという誇りがにじみ、
当時の政府に対する辛口ジョークが飛び出すことも。
産業にとどまらず、コミュニティのありかた、性質まで
いま“ウェールズ人らしさ”といわれているものの多くが、
この時代に培われたことを教えてくれます。
<もっとトリヴィア①>
ビッグピットを中心に、ブレナヴォンに残る製鉄所跡、
鉄道、集落を含めた一帯は、“産業活動とそれを取り巻く
人間の生活の様子がよく保存された顕著で傑出した事例”として、
2000年にユネスコの世界遺産に登録されました。
<もっとトリヴィア②>
石炭採掘の中心となったロンダ渓谷は、
往年の名画『わが谷は緑なりき』の舞台。
でもハリウッドスターをキャスティングし、
ウェールズで撮影されなかったので、
この映画、ご当地ではずっと評判がよくないみたいです……。
ウェールズフリークとしては、
男声合唱の見事なハーモニーやお店のおばさんの民族衣装など、
ニヤっとさせてくれる場面もあるのですが……。