プリンス・オブ・ウェールズ①

ときは西暦1294年、かねてよりウェールズ征伐に

乗り出していたイングランド国王エドワード1世は、

ついに全土を完全制圧。

北ウェールズの覇者としてプリンス・オブ・ウェールズを

名乗っていたラウェリン・アプ・グリフィズは

すでに無念の戦死を遂げ、

統率者を失っていたウェールズは、

あわれ、イングランドに膝を屈したのであります。

 

とはいえ、反逆心にたぎるウェールズ人を

武力鎮圧するだけでは

いつまた謀反が起こらずとも限らない。

そこでさかしいエドワード、策略をめぐらせます。

「ウェールズ生まれの、英語をひとことも話せない男子を

汝らの君主としよう」と。

イングランド人なんぞに服従するは末代までの恥と

屈辱に身を震わせていたウェールズ人も、

「それならよかろう」と応諾したのでありますが……。

 

おりしも王妃は懐妊中。エドワードは自らが築いた

北ウェールズ支配の本丸要塞であるカナーヴォン城に

彼女を連れてきて出産させ、

生まれたばかりの息子を高々と掲げたのであります。

「見よ、これぞ、新しいプリンス・オブ・ウェールズである!」

 

と、イングランド王室の嫡男が“プリンス・オブ・ウェールズ”と

名乗るようになった顛末を講談調に語ってみましたが、

残念ながらこのエピソード、真偽のほどは確かではありません。

このときの赤ん坊、後のエドワード2世が生まれたのは1284年で、

プリンス・オブ・ウェールズに叙せられたのは1301年のことですから。

史実なのは、彼がカナーヴォン城で生まれたこと、そして、

イングランド王位の男性継承者として

初めてこの称号を与えられた人物だということです。

 

ところで由来からもおわかりのように、この称号におけるプリンスとは、

“王の息子”ではなく、小国の“君主”あるいは“大公”を意味します。

ウェールズのことを伝統的に”The Principality”ともいいますが、

その字義は、「プリンスが主権を持つ小規模の国」。

つまり、プリンス・オブ・ウェールズとは、英国王へのステップではなく、

そもそもは“ウェールズの統治者”という意味なのです。

現在は行政上の権限はなく、統治にもなんら関与されませんけれど。

 

日本ではその慣例から「英国皇太子」と訳されることが多いのですが、

このように、本来は異なるものなんですね。

だからこの称号は、継承権第一位の人物が王位についたとき、

その長男に自動的に付与されるものではありません。

叙する時期をいつにするかも、そのときの君主の意向次第なんですよ。

 

 

 

  <もっとトリヴィア①>

  「英語をひとことも話せない男子」と言って

  ウェールズ人たちをたぶらかした()エドワード1世ですが、

  実際のところ、当時のイングランドの支配階級は

  英語はほとんど話せませんでした。

  ノルマン=フレンチという言葉を話していましたから。

  ウェールズ人、詰めが甘かったかも……。

  って、伝説ですけどね、この話自体が。

 

  <もっとトリヴィア②>

  “大公”としてのプリンスの意味は、

  モナコを例にすればわかりやすいかもしれません。

  現君主のアルベール2世大公はPrince of Monacoですし、

  モナコ公国はPrincipality of Monaco といいます。

 

 

 

 

 

   >> プリンス・オヴ・ウェールズ②